mousimouzou’s blog

気になることを言葉にして、消化させようと書きつけます

女王の死

今日も、一日が終わる・・


 96歳でイギリスの女王が亡くなられた。

もちろん、テレビでしかお会いしたことはない。

だから、メディアの情報だけが、私の彼女に対しての全てのもの。

「凄いなぁ。」と、感心・感銘を受けたのは「ロンドンオリンピック」の開会式のセレモニー。

ダニエル・クレイグのジェームズボンドとの共演。

驚いた。

果たして、同様のことが、日本の皇室で出来るだろうか? と思った。

あの・・ユーモア、そして気品。

さらに寛容さ。

これは、国民性もあるのだろうと思われる。

日本の国民は、あのようなユーモアの精神は基本無い。皆無とは言わないが、国民はこれを望んでいない。

 安倍元総理は、・・そういった、ユーモアを好んでいたように見えた。

が、それ以外の権力者たちは、ほぼほぼ、ユーモアを解していないようにお見受けする。

それは・・、

日本のバラエティー、テレビ番組にも問題がある。

日本は、「コメディー」ではなく、「お笑い」だ。

馬鹿なことをして、人を笑わすのがメイン。

これは、ユーモアとは全然異なるものだ。

だから、下品だと見られてしまう。

もちろん、中には面白いコントをメインにして活動している芸人もいるだろう。

が、それらの大半は、マスメディアにはのらない。

 

 イギリスは、シェークスピアを生んだ国。

演劇を、国のレガシーとしてリスペクトしている。

日本には、それがない。

日本の演劇は、イギリス、アメリカ、ロシア等々の物まねから始まった。

歌舞伎は文化であって、現代劇ではない。

権威を風刺することは、御法度とされた。同じ人間なのに、徹底的に区別、差別された。

残念だ。

本当に、残念だ。

どうして、日本は島国なのに、鎖国をしてしまったのだろう。

鎖国をしなければ、もっと違う道が開かれていたはずだ。

きっと、閉塞感に溢れた軍国主義など芽生えなかったかもしれない。

 

でも、そんなことを言っても遅い。

 

これからの日本は、・・もう少し、足元しっかり見つめ直すべきだろう。

天皇とは何か? 天皇の存在意義は? 天皇と国民との繋がりは?

税金を使っている、使っていない・・などはさておき、その存在の意味をしっかり討議すべきだろう。

日本は、愛国心の薄い国だ。

日本が、他国から侵略されそうになったとき、自らの命を懸けて、国を守ろうとする者がどれだけいるだろう?

ウクライナのように、命を懸けて国を守りたいと、出兵を志願する若者がどれだけいるだろうか?

こういった問題を、日本はタブー視している。

みんな避けて通ろうとしている。考えないようにしている。

 

 日本は、多様化の波をもろに被って、今、国民はバラバラになっている。

これを、もとに戻すことなどできない。

いくら、少数の人間が、戦争反対とシュプレヒコールを上げても、正直何の足しにもならない。

これだけ、選挙の投票率が低いのに、何もしないでいるのだから。

全部、他人事。

だれかが、苦しんでいても、最終的に他人事なのだ。

 

・・革命しか、ないのだろうなと思う。

どんな革命がいいのかはわからないが、・・ドラスティックな変革がなければ、日本の将来はないのじゃないか・・とすら思えてくる。

とある野球選手について

 詳細もわからずに、断片的な事実を基に、感じたことを書かせてもらいます。

その有名な野球選手は、自分が置かれている立場を、しっかりと理解していなかったのでしょうか。

 自分が、どれだけ世の中(社会)に影響力を持っているのかの目測を誤ったのでしょう。フライボールの目測は得意でも、世の中の人たちの反応・反響の目測は上手くはなかったということなのでしょう。

 残念です。・・

これで、チームGのファンがそれなりの数が減ってしまうでしょう。

 

その選手の言い分もあるでしょう・・

それを考えてみます。

「そんなことくらいは、誰でもやっていますよ!」

「僕だけじゃないですよ。・・結構、普通にやっていますよ。」

そんないいわけをするかもしれない。

 

確かに、確かに・・そんな類のことをしている人間はたくさんいるでしょう。

でも、ノーネームの人と、そうでない人ではかなりの(影響力の面で)違いがあると思われます。

どうして、そんな当たり前のモラルが、彼に、彼の心に浮かんでこなかったのか?

罪・・自体は同じ価値でも、その罪を犯した行為者の種類によって、社会に与えるメッセージは質が変わってくることを。

 

 さぁ、Gチームは、どんな尻ぬぐいをするのか。

または、しないのか。・・時間が経過し風化するまで待つのか。

示談が成立していることなので、何も騒ぐことではないと開き直るのか。

「選手である前に、紳士たれ!」

そんな、文句があったように記憶しています。

伝統とか、歴史とか、・・そんなものは、今の選手たちには特に意味のあるモノではないのでしょうか?

 

ただ野球が滅茶苦茶に上手い。

それだけで、社会人としての資質を特に問わないままに、スターとして崇めていいものだろうか?

 

責任はどこにあるのか?

本人だけのものなのか?

また、藪の中か・・。

でも、これだけはいえそうです。

また野球離れが進むだろうと。

物価が上がることについて

犬の生活にも影響がでるのか!?


 物価が上がっている・・ようです。

あえて、「ようです。」と書いたのは、多少の上昇は仕方ないだろうと思っているのと、精神的にネガティブに捉えたくないと思っているからです。

 円安で、その影響が出てきているのは、これは誰だってわかっていることです。

日本は、エネルギーに関しては、ほとんどを海外に依存しているわけですから、それが上手くいかなければ、当然国民生活に反動となって出て来ます。

当たり前のことです。

当たり前のことなのに、それ(これまでの安定)が崩れると、その責任を自分以外の誰かに求めようとする。自分も日本人なのに、それはさておき、違う日本人の責任にしようとする。

おかしな話です。

 

「自給自足の生活」を目指そう・・などとこれまでさんざん、事あるごとに言っておきながら、全く現状の輸入依存から脱却できなかった、・・そのつけが回ってきただけなのです。

日本くらい、外国に依存している国はないのではないでしょうか?

 

 精神的にも、外国に依存している気がします。

特に、アメリカに。

 

かく言う私もそんな感じです。

アメリカの映画が好きですから。

小学生の時、NHKで『ローマの休日』を観て、感動して眠れなくなった思い出があるくらいですから。

音楽も、アメリカ人・イギリス人の影響を受けています。

 

でも、食事はお米がベースです。これは、譲れません。

お米は日本の心です。お米をもっと、もっと昔のように食べるようになればいいと真剣に思っています。そうすれば、ここまで小麦を輸入しなくても済む。

だからといって、パンに目くじらを立てているのではありません。

私の妻はパンが好きで、毎日食べていますから。

 

 いつの段階で、外国依存から抜け出すことができるのか・・。いつになったら、アメリカと対等の立場に立てるのか、日本は。

そこが、一番の問題です。

物心両面で、アメリカの下という位置に甘んじている。

そこが、改善されなければ、健全な日本は生まれません。

 

そして、自給自足の生活ができるようになる・・。

他人の褌で相撲を取らなくてもよくなる・・。

 

 今のままでは、100%無理でしょう。

多様性を何が何でも認めなければならない時代になりましたから、猶更、無理です。

パンから米に変えよ!と、誰が強制できましょう。無理な話です。

 

 日本人には、日本人としてのスピリッツがもう無くなっているのではないのでしょうか?

日本人くらい「愛国心」に薄い民族もいないと思います。

果たして、ウクライナのように、万一、日本がどこかの国に攻撃を受けたとき、命を懸けて国を守る・・というような行動をとれる日本人がどれだけいるでしょうか?

甚だ疑問です。

 

「みんなで、話し合いましょう!」

「強権的なことはやめましょう! 話し合いで進めていきましょう!」

「武力に対して、武力では、非核三原則の日本として恥ずかしい行為ではないのですか!」

「国民のコンセンサスが取れたんですか? 国民がいいと言わないことをやっていいのですか!」

「もっと、外交で努力できることはないのですか! 政府が腰抜けなんじゃないんですか!」

 

想像しただけでも、そんな空虚過ぎる国会論戦が聞こえてきそうです。

日本は、はっきり言って、腑抜けです。

今まで、全部アメリカに頼ってきた。

日本に原爆を投下して、その罪悪感に多少なりとも苛まれているアメリカのお兄さんに頼ってきた。何から何まで。

 

もう、そこからは、抜け出すべきです。

 

自分達で、自分達の力で、この日本を考えていくべきです。

誰かのせいにしないで、自分たちのことは、自分達の責任で解決していく・・そういう姿勢を見せていくべきです。

 

でないと、ほんとうに、あと30年もしない間に、日本はどこか他の国の名義になっているかもしれません。

もちろん、その頃、私はこの世の中にいないでしょうが・・

 

様々な問題が、それこそ、多様的に発生しているのはわかります。

ですが、もっと、本質的な話し合いをしていかなければ、健全な未来は来ないのではないかと・・思えて仕方ないのです。

 

国葬

どこに行こうかな・・


 あくまでも、私見です。

今多くの国民が、国葬するには、法的な根拠がない・・と言っています。

どうして、国葬にする必要があるのか?と。

何故に、国の税金を使って、それを行う必要性があるのだと。

 

 結構、それぞれが、みんな言いたい放題な気がします。

ま、何でも言っていいんですよ。

言論の自由が保障されているんですから、それこそ法律で。

 

 だから、私も言います。

どうして、一国の総理がやると決めたことをそこまで信じられないのか・・と。

日本の国で、一番思い責任を負っている人の言うことを、どうしてそのまま受け止められないのか・・と。

岸田さんが、国葬というのは、我々一般庶民がわからない様々なことも鑑みながら決定したことなのでしょう。ならば、それを信じてあるのも、我々国民の役割の一つのような気がするのです。

 

反対することは簡単なんです。

賛成することが難しい。

反対は誰でもできる。同意するのが難しい。相手を信じなければならないから。

 

今の日本に欠けているのは、この「信じる」という一番シンプルな行為です。

何が何でも、反対だ。

体制の行うことは、全て庶民の反対側にある・・みたいなそんな感情が見受けられてしたかがないのです。

 

一国の総理大臣が、国民の幸せをどうして願わないでしょう。

 

多少手段は複雑になるやもしれませんが、これだけ非公開の部分が無くなりつつある今、何とか、この国を良い方向に向けようと努力しようとしている。

それは、きちんと認めるべきだろうと思います。

 政治は、もちろん素人の私にはわからない部分だらけですが、・・かなり難しいことだけはわかります。

 

自分が、もし仮にかわりにやってみろと言われても、できるわけがありません。

言うのは簡単なんです。

もっと、相手の気持ちを察して、同意しようと努力してみてはどうでしょう。

それでも、出来ないならば、自分ならどうするのか、きちんとした改善提案を持っているのか、それを確認すべきです。

そして、その提案を、国民に納得させられることができるのか・・それも、一緒に考えるべきだと思います。

 

不信感は、誰のせいでもない。

自分、本人のせいなのです。

忖度

意識してないようで・・しているのです


「忖度」をしない生き方など出来ない。

 

必ず、何かに、誰かに「忖度」して生きている、と思っています。

 家に同居する動物ですら、私らに、または共に同居する他の生き物に対して、多少の「忖度」は入れているように見えますから。

 

「忖度」が問題になるのは、利益(お金)が絡んでいる時が圧倒的に多い気がします。

または、権力などの利害が絡むとき。

陰湿な欲望が、へばりついてはなれないガムみたいになっている時でしょう。

 

 そういった、醜い「忖度」は、人間の専売特許だろうと思います。

犬や、猫にはそういった不純な「忖度」は感じられませんので。

だから、動物は、愛すべき存在だと思える。・・もちろん、わけのわからない行動で???がいくつもつくときもありますけれど。

 

 どうして、そこまで人間は、金に対して執着するのでしょう。

また、どうして、こんなにも権力に弱いのでしょう。

お金や権力を持っている人間は、すごいと勝手に思い込んでいる。

そう言う人間とお近づきになることが、ステイタスだと信じている。

 

 これは、生まれながらの刷り込みなのでしょうか。

産まれたときから、潜在的に持ち合わせた人間のエゴの一つなのでしょうか。

だとしから、それは仕方のない事だと、諦めもできましょう。

 確かに、欲望は、生まれたときに既に備わっている気がします。

産まれてすぐの赤ちゃんの行動を見てもそれがわかります。物心がついたくらいで、すぐに所有するということを覚えますから。自分が持っている物を取られたりすると、火がついたように泣いてしまう子もいますので。

 きっと大部分の人間は、欲望の塊なのです。

大部分といったのは、きっと、生まれながらそうでない、天使のような人間も存在するだろうと、勝手に思っているからです。

 

 私のことを言えば、私は決して天使とはいえません。言えないどころか、どちらかと言えば、悪魔に近い方でしょう。なぜなら、ちゃんと欲望も権力に足しての欲求もそれなりに持っているからです。

ただ、その欲求と同じくらい、自制を求める欲求も存在している。

これは、後天的に獲得したものに違いないと思います。

理性とか、自制心とかは、きっと、これまでの人生の経験や体験の中で、育まれたものだろうと思っています。

 

 しかし、権力も、お金も、それなりの生き方をしてこなければ、得られないもののはずです。努力によって、獲得したのでしょう。

それが、一体、そんな世間から後ろ指を指されてしまうような醜い状態に陥ってしまったのは、いつからなのか? いつの段階で、欲望に脂ぎってしまったのか、それが知りたいのです。

 また、それは必然であったのか? 偶然であったのか? はたまた確信的なものだったのかも。

 

そして、・・その当事者である本人たちは、今、社会に糾弾されて、その度が過ぎた欲望を反省しているのか、それとも反対に開き直っているのか・・ふざけんなよ!と居直っているのか。濡れ衣だと責任転嫁しているのか。

それが知りたいのです。「忖度」無しに。

 

 自らの過去の経験を、数年前のことですら忘れてしまう大臣がいます。あっという間に貴重であろう体験を消失してしまうなんて・・、周囲の状況からしか、自分の行動を振り返れない・・そんな国の大臣。

そんなレベルの記憶力で、国の大臣が務まるのでしょうか。

 

何かに、「忖度」を入れているのでしょう。

誰かに、いや、もしからしたら、自分に「忖度」を入れているのかもしれません。

 自分の存在に傷をつけたくないから、自分はすごい人間なのだから、こんな理不尽な世の中の対応に負けてはいられないんだと、自分に慰みの「忖度」を入れているのかも・・。

 

結局、藪の中。

 

それは、それでいい・・のでしょう。真実などは、複数存在するのですから。ただ、・・それなりの社会的地位にある人達は、出来るだけ社会の模範となってもらいたいという願望を捨てきれないだけです。

自分の国に民族に、歴史に、プライドを持ちたいから。

「ああ、すごいなぁ。」

 

と感嘆したくなるような存在であって欲しい。権力を持っている人は。

 

ただ、それだけなのです。

 

 

 

ある俳優さんの事件について

 まず、3年前のことが、どうして今頃になって問題になるんだ・・と思ったりしています。

もしも、(彼の起こした問題が)本当にどうしようもないくらいに酷い(悪質な)事であれば、もっと前に処罰されるべきだったのではないのかと。

この3年間はどのような意味があったのかと。

何の罰も受けず、普通に暮らせていた・・わけだから。

 

世の中(の人たち)も、普通に、「いい俳優さんだ」と思っていた・・。

 

ところが、この事件が発覚するや、手の平を返したような対応。

仕事が無くなる。

悪い人間だと決めつけられる。

それも、女性に対してのセクハラだから、なお過敏に受け止められる。

 

 この、セクシャルハラスメントに関しては、ここ最近の「MeToo」騒動以来、少し過剰過ぎるんじゃないのかなと思う位、世の中が反応していると思う。

もちろん、相手の意志を無視した行動は良くない。許されない範囲はある。

が、それが嫌であれば、出来るだけ時間を置かないで、訴えるべきだと思う。

ある程度の時間が経ってから、

「あの時は、酷いことをされた。」

後出しジャンケンのように言われても、

「その時は、何も言ってなかったよね。嫌だとか、やめてとか、そんなこともなかったよね?」となる。

「言えなかったのよ。言えるような雰囲気じゃなかった。そこは、察してくれないとだめじゃないの!」

 

 相手が、自分よりも社会的な地位が高かったり、上司であったり、お世話になっている人の紹介だったりすれば、頭ごなしに拒否することは出来ないのもわかる。

まして、性的な行動は・・先が読めないという面があるから。

 

(そこから)どうなるのか・・、どこまでなのか・・、何をされるのか・・

わからない。

だから、その場で、直接的な行動を取れないのだ。

それはわかる。

が、何年も前のことを、取り出されて言われても・・どうなのだろうとも思う。

 

もちろん、今回のことばかりを指して言っているのではない。

今回の事件は、セクハラを受けた女性が、そのお店の責任者を相手にクレームをつけているのだから、それなりに、早い対応はしている方なのだろう。

でも、どうなのだろう?

そのセクハラをした俳優は、そんなクレームが出ていたことを知らなかったのだろうか?

他人事に済ませられると思っていたのか?

何倍返しものペナルティーが後々にかけられようとは、思わなかったのか?

「あれくらいは、普通でしょ。」

と認識するくらいの出来事だと思っていたのか。

 

彼は、大きな代償を払うこととなった。

人前に出て、言いたいこともあるだろう。釈明したいこともあるだろう。

でも、それは、現在のマスコミ体制では難しい。

圧倒的に、悪者と決めつけられている中で、どんな発言をしても悪意に捉えられるに決まっているからだ。それが、今のメディアの特徴だ。

大衆の意見を見ながら、メディア自身の対応を決めていく。

大衆がノーなら、メディアもノー。

大衆がイエスなら、メディアもイエス

全く、独自の意見がない。

スポンサー企業のお金で、メディアが成り立っているのだからそれは仕方がないといえばそうなのだろうが。

しかし・・

昔、「不倫は文化だ」と言って、糾弾された俳優さんがいた。

でも、実際の歴史をみれば、そう言っても問題はない。

「不倫」は最悪だ!と言っていながら、『源氏物語』を最高の作品と言う。

矛盾は、社会の専売特許とはいえ、あきれ返ってしいまう。

 

私は、セクハラや不倫がいいと言っているのではない。

 

もう少し、詳細を冷静に紐解こうと言っているだけだ。

今という不明瞭な倫理観に翻弄されないで、長い人間歴史の通時的な所業を精査して、冷静にジャッジした方がいいと思っているだけだ。

 

あの、俳優さんは、今何を思っているのだろう?

反省の日々を送っているのか・・。それとも、理不尽な世の中を恨んでいるのか。

生きる時代が違えば、何も問題はないじゃないかと、嘆いているのか。

 

オームだ。

風の谷のナウシカ」の、真っ赤な目になったオームだ。

今の世の中は。

視界が狭くなっている。

いや、狭くさせているのか・・。一部の権力者たちが・・それはわからない。

言論の不自由

網戸の向こう


 自分の言いたいことを、言い切れない世の中になっているような気がします。

 

「これを言ったら、炎上するんじゃないか・・」

「反発を受けそうだ・・」

 

と、その他大勢の(見えない)反発に怯えて、中々本心を言えずにいる人たちが多くいるように思います。

特に、社会的な地位を獲得している人たちは、そうでしょう。

本心を言ったら、とんでもないことになってしまう人たち。

例えば・・

 

政治家。

テレビなどの媒体に出ている人。

専門家と呼ばれるような人たち。

 

そんな彼ら、彼女らは、発言や行動に特に注意を払うことを(目に見えない大衆に)強制的に求められます。

 

それは、それでいいでしょう。

それを承知の上で、そういう立場にいるのですから。

 

でも、その風潮が、世の中全体に蔓延してしまったら・・

どうでしょう・・

 

もう、閉塞感で精神が(心が)持たなくなるのではないでしょうか?

それでなくても、コロナで行動が制限されているのに。

 

言論の自由

表現の自由

 

どこまで、それが保障されているのか・・甚だ疑わしくなります。

 

人権・平等・プライバシー・多様性・ジェンダーフリー・・

 

それらの新しい権利と、折ありが上手くついていないのが現状です。

 

その、互いを侵害しないボーダーラインが不明瞭過ぎるからです。

 

共和制の限界と言ってもでしょう。

 

みんなで話し合って、結論を出そうって。

結論が出ても、必ず反対者が出て、その人たちが「少数意見を無視するのか!」って叫ぶのだから。

埒があかない。

 

「多数決の原理」はどこにいったんだよ!と言いたくなります。

多数決で決まったことには、粛々と従わなければ、原理の意味が軽くなってしまう。

 

そろそろ、本気で、その辺を考えないと・・

 

人類の先行きが不透明になってきてしまうような。

 

気候の変動と同じくらい、人類の先行きも変動していると思う、9月の頭です。