国葬が終わった。
安倍元総理の国葬が終わった。
私は、元々国葬には賛成だったから、粛々と行われたことに安堵している。
何度も言っているが、反対は誰でもできる。賛成が難しい。
この・・多様性をまるで美徳のように吹聴している世の中においては、言論の自由はもはや意味はない。なぜなら、もう言論を統制することなど出来るわけがないから。
出来ないものに意味付けようとしても無駄だ。
中国や、ロシアのような強制的思想統一がいいわけではない。
が、日本人としてのスピリットのようなものを国民が共有することは必要だ。
人間として・・といえるのは、所属している民族のバックボーンがあるから考えられる。
所属する民族が不明では、宇宙に浮遊しているのと同じ。
どうして、今の日本人はその辺がわからないのだろう。
日本のために、命を懸けて生きた人たち、先人たちの想いを、もう少し考えてもいいのではないかと思うだけ。
「今は、日本とかアジアとか、そういうのではなくて・・国際的レベルで考えていかないと・・」
そんな、戯言につき合っていったら、とんでもないことになるでしょう。
山県有朋が死んだのが、今からちょうど100年前の1922年。
翌年、関東大震災。そして治安維持法ができ、張作霖爆殺事件、金融恐慌、満州事変・・とてつもない激動の時代を迎えていく。
・・誰も、先のことはわからない。
が、少しだけわかる人もいる。
それが、リーダー。それが、安倍元首相であり、菅義偉さんなのではないかと思う。
ちなみに、
私は、自民党員でも何でもありません・・